「貧血」という言葉 (第620号令和3年8月1日)

「貧血」という言葉

武庫川地区 児玉  岳
大島地区  内藤 武夫

 つねづね、貧血を専門(というほどでも無いですが)としてきた者として、なぜ「貧血」などというのか、血が貧しいなど、こっちまで貧しくなりそうで、医学用語で「貧」の字が使われることなど滅多に無く不思議に思っていました。
 実は、医学用語「貧血」の翻訳の歴史については、拓殖大学の留学生で日中語彙交流を研究する権宇琦氏の詳細な研究があります。
 医学用語は『解体新書』以来、幕末から明治初期に訳語が数多くつくられ収載されました。本格的な医学辞典としては、奥山虎章『医語類聚』、桑田衡平『内科摘要』などが知られます。これら『医語類聚』、『内科摘要』などは国会図書館デジタルコレクションで内容を閲覧することができます(添付画像)。
 さて、貧血(anemia)は、清国では「血虚」と翻訳されたようですが日本には渡来しなかったか、あるいは一般化しませんでした。そして奥山虎章が明治初期に『医語類聚』で「乏血」と訳しましたが、その後、桑田衡平『内科摘要』(明治7年頃)での訳語「貧血」が医学用語として定着したようです。なぜ「貧血」の方がポピュラーになったのかは判りません。そして「貧血」の語は1900年代初頭、清国に逆輸入されたようで現在でも使用されています。また日本での造語である「虚血」は「局所での貧血」を表わし、我々はいまでも「虚血性心疾患」や「虚血性腸炎」などという言葉を普通に使用しています。

 『医語類聚』を著した奥山虎章ですが、出羽国上山藩出身(現・山形県上山市)の医師です(上山出身の医師というと、斎藤茂吉を思い起こしますね…)。奥山は盛岡藩に移ってその藩医となり、その後、慶応義塾に学び、明治以降は海軍軍医にもなっています。
『医語類聚』(1872)を編纂、「神経」という言葉を訳し、精神医学に関する用語を多く収録しました。いまでは使用を控えるようになった「痴呆」という言葉も奥山の造語だったとのことです。

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 内藤です。貧血について児玉先生の様な知識がなく、話がつながりません。そこでネットで調べていくと内科学会雑誌に高久先生が投稿された文章を見つけました。そこには、それまで致死性の疾患だった悪性貧血の克服が述べられています。1930年の内因子と外因子の関与、ビタミンB12の結晶化などの一連の研究が20世紀の血液学の大きな足跡であると書かれていました。
 これは1920年代後半に悪性貧血に肝臓療法により効果がある事が認められます。その後、牛の肝臓から抗悪性貧血因子として結晶化されたものがビタミンB12と名付けられます。そして構造がX 線解析により1950年代に明らかにされたと言います。
 これらの話は有名で、常識的な話でお茶を濁してしまいました。後は児玉先生。よろしくお願いいたします。

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 悪性貧血、いわゆる巨赤芽球性貧血、いや、ビタミンB12欠乏性貧血の治療は臨床の内科医冥利に尽きます。まず既往歴で数年前~10年前に胃癌で胃の切除をしているなどという問診の重要性。血液検査で大球性貧血(MCV高値)を確認すれば診断可能。そしてビタミンB12製剤の注射をするだけで、みるみる貧血が改善するのですから。悪性貧血とか「悪く貧しい」という最悪(言い過ぎか?)な病名の割には、実はいまや病態や治療法が確立された疾患なのです。
 今回は「歴史」より「血液学」になってしまいました……。