第13回尼崎市性教育講演会~HPVワクチンを巡る話題~(第596号令和元年8月1日)

第13回尼崎市性教育講演会~HPVワクチンを巡る話題~
6・22
尼崎医療生協病院 産婦人科 衣笠 万里
6月22日(土)午後、都ホテル尼崎で第13回尼崎市性教育講演会が開催されました。今回のテーマはヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンであり、講師を務められたのは日本大学医学部産婦人科学教授の川名敬先生と神戸学院大学総合リハビリテーション学部理学療法学科教授の松原貴子先生です。川名先生はHPVと子宮頸がん、そしてHPVワクチンについて基礎研究から臨床医学まで精通されている第一人者であり、また松原先生は慢性疼痛に対する集学的診療に長らく取り組んでこられ、HPVワクチン接種後の諸症状の治療にも携わってこられました。
HPVは女性性器あるいは男性性器のがん、男女を問わず肛門がんや中咽頭がんなど多くのがんの原因となることが分かっています。その中でも最大のリスクは子宮頸がんであり、日本では毎年1万人以上の女性が発症し、3千人前後がそのために命を落としています。全世界では毎年50万人以上が子宮頸がんに罹り、その過半数が亡くなっていると推計されています。
性教育講演会でHPVワクチンがテーマに取り上げられたのは、HPVは今大きな問題となっている梅毒やHIVと同様に主に性行為によって感染するウイルスであり、しかも男女を問わず生涯の間に大多数の人々が感染する可能性があるからです。しかし現在日本で接種可能な2種類のワクチンでも子宮頸がんの原因の約70%を占めるHPV16・18型の感染を予防できます。さらに海外では9種類のHPVに対して有効なワクチン(9価ワクチン)も導入されていて、子宮頸がんの80〜90%が予防可能と見込まれています。現在、HPVワクチンは世界の80以上の国や地域で公的予防接種に組み込まれており、日本もその中に含まれています。
しかしHPVワクチン接種後に体中の痛みや運動障害・学習障害などの症状が現れた方々がおられ、ワクチンによる副反応が疑われたために、2013年6月に厚生労働省から「HPVワクチンを積極的にお勧めしていません」という通知が出されました。さらにワクチン接種後に健康被害が起きたとして国および製薬会社に対して損害賠償請求訴訟が起こされました。そのような事情もあって現在、国内でのHPVワクチン接種率は対象者の1%未満にとどまっています。今でも12〜16歳の女性は無料でHPVワクチンを接種できるのですが、それすらあまり知られていないのが現状です。
実際には現在までに国内外で行われた多数の調査においてHPVワクチン接種者と非接種者との間で様々な疾患や症状の発生率を比較しても明らかな差はみられませんでした。つまりワクチンと諸症状との因果関係は証明されていません。それでも報道番組などで接種後に苦しんでいる女性たちの姿を見ると、多くの方々がワクチン接種に二の足を踏むのは無理もありません。HPVワクチンによる将来のがん予防が普及していくためには、接種後に生じたとされる様々な症状に対する理解が深まり、その治療法が確立されることが一つのカギになるとおもわれます。
臓器の損傷や炎症などの器質的病変が認められないのに、脳が不快な体験として感じる強い痛みが長期間にわたって続くために日常生活に支障をきたす一連の疾患群が知られています。その中には歌手のレディー・ガガが治療中であることを公表した線維筋痛症や、外傷治癒後に多発性疼痛を生じる複合性局所疼痛症候群(Complex Regional Pain Syndrome:CRPS)などが含まれます。一方、やはり原因不明であるものの、眩暈・全身倦怠感・睡眠障害・頭痛などの症状を呈する体位性頻脈症候群(Postural Tachycardia Syndrome:POTS)も十代女性に好発することが知られています。HPVワクチン接種後症状の多くはこのCRPSやPOTSに類するものと考えられています。
まず松原先生にはHPVワクチン接種後の慢性疼痛や運動障害に対する認知行動療法や運動療法についてお話しいただきました。CRPSは外傷後だけではなく筋肉注射をきっかけに起こることもありますが、多彩な症状を呈し生活の質を著しく損ないます。それに対して「痛いからできない」のではなく「痛くてもできることを少しずつでも増やそう」というプラス思考に転換して、日々の運動を通してADLを拡大していくうちに、徐々に元の生活を取り戻していこうという地道な治療法が一定の成果を挙げています。中には複雑な家庭背景などがあって難治性の症例もありますが、それでも多くの方々で症状の改善が得られていることが分かり、勇気をいただけるお話でした。
引き続き川名先生にはまず子宮頸がんの脅威とHPVによる発がんのリスク、それに対するHPVワクチンの有効性と安全性について、そして巷で広まっている有害事象に関する誤解について、専門家の立場から大変分かりやすく丁寧にお話しいただきました。ワクチン接種後の副反応とされている症状の多くはPOTSの疾患概念からも説明可能であり、一部の医師たちが主張している自己免疫性脳炎の存在を支持するエビデンスはありません。今後は厚労省が「積極的にお勧めしていない」中にあっても、女性が自ら目的意識をもってワクチン接種を受けられるような、早い時期からのがん教育の重要性を説かれました。そして女性がワクチンの意義について十分理解して接種を受けるためには接種年齢を18歳まで引き上げてもよいのではないかと提案されました。
会場には椅子が足りなくなるほど大勢の参加者が来られ、このテーマについての関心の高さが伺われました。松原先生と川名先生のご講演はいずれも好評であり、ご多忙にもかかわらずお越しいただいた両先生には心よりお礼申し上げます。HPVワクチンについての理解が一層深まり、将来にわたって多くの女性の命と子宮が守られることを一産婦人科医として切に願うものです。